感情六号線

楽しいまま死んじゃおう。

楽しい食卓

一緒に生きていくことの意味とは。

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2016.06.05

ONEMAN TOUR 2016 「楽しい食卓」

DEZERT

Zepp Tokyo

 

千秋が楽しいと書いて千秋楽!!

 

「あー。」

「君の子宮を触る」

肋骨少女

「遺書。」

大塚ヘッドロック

「殺意」

「追落」

「おはよう」

「宗教」

包丁の正しい使い方~思想編~

「教育」

「不透明人間」

「セイオン」

包丁の正しい使い方~終息編~

「秘密」

「擬死」

 

(ENCORE)

「遭難」

脳みそくん。

MONSTER

doze.

「切断」

ピクトグラムさん」

 

去年の年末にゼップの告知があったときのどよめきはいまでも覚えている。

「すごい!」とかではなく「...マジ??」みたいな終演後の雰囲気。

 

でもね。

 

全然馴染んでた。ゼップでライヴやるバンド然としてた。

こういうのって大抵浮き足立ったりするもんじゃないの?

 

そういう変に肝が据わってるところもDEZERTらしいと思ってしまったけどね。

 

彼らはこんな大舞台であたかもいつも通りですみたいな顔して救いを叩きつけて帰って行った。

 

数年前のこと。

 

そして去年。

 

そんな人がですよ。

 

こんな風に言えるようになるなんて思ってもいなかった。

これは「ピクトグラムさん」の最後に発した言葉。

ちなみに「ピクトグラムさん」はこんな言葉で始まりました。

 

 

やっぱり千秋は死ねなかった人だったんだなあ。

 

 

それを受けた最後の一節。

 

こんなん泣くやろ。

DEZERT見てこんな気持ちになる日が来ると思ってなかったよ。

 

ピクトグラムというと非常口の誘導灯の緑色のアレを思い出す。

それと同じようにDEZERTは我々の非常口を引き受けようとしている。

 

出口が見つからない人にとっての一時的な逃げ場。

出口というのも二種類あって、その片方は死ぬこと、片方は生きる為の出口。

 

死ぬことも出来ず、生きる理由も見つからない人の非常口であり救い。

  

でもそういう人にとっては非常口が生きる為の出口になることだってあると思うんだ。

 

多分それは千秋にとっても同じなんじゃないかなと思っていて。

DEZERTをやることが一種の逃げ場であって、最終的にもしかしたら生きる為の出口になり得るんじゃないかしら。

 

 

とりあえず一緒に生きて、ただお互いがそこにいることが意味であり救いになればいいなと思う。

 

数年後に千秋がなんて言ってるか、わたしがどう思ってるか、答え合わせしないと。

 

 

最後に千秋のベストオブ罵声でお別れです。

 

 

最高かよ。